【第一話】 遊佐。山と海を巡る物語。【前篇】

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    「出羽富士」と呼ばれ親しまれる東北の名峰、
    鳥海山が美しい稜線を伸ばし眼前に迫る。

    山形県飽海郡遊佐町。
    山形県の最北部に位置し、山と海の恵み豊かなこの小さな町から新しい物語が始まります。

    山形県は名前の通り周囲を山に囲まれ、森林面積が県土の72%を占める山の国です。日本百名山に数えられる6座が峰を連ね、四季折々の美しい山容を見せてくれます。そのなかで唯一海に面しているのが庄内平野。国内でも有数の穀倉地帯として知られ、遊佐町はその北端にあります。
    町のシンボルは鳥海山。日本百名山の1座で、標高2,236mは山形県最高峰、東北第二。山頂に雪を頂き、緩やかな稜線を延ばす秀麗な姿から「出羽富士」とも呼ばれています。「鳥海」の山名には諸説あるものの、鳥が大きな翼を広げたような裾野が直接海に接する…そんな由来を勝手に想像してしまいます。

    鳥海山から昇り日本海に沈む日月の輪廻の下、山がもたらし海が運ぶ豊潤な幸に恵まれ、遊佐町は悠久の時を刻んできました。

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    縄文の人々が暮らした痕跡は、
    7,000年の時を経て土地の豊かさを今に伝える。

    遊佐町を目指すのに地図は不要です。まず日本海側に出て、あとはひたすら鳥海山を目標に海沿いを進めば、日本のどこからでも必ず遊佐町へと辿り着きます。

    南北の沿岸航路が盛んとなった縄文時代、縄文の人々もまた、鳥海山をランド・マークとしてこの地に上陸したのかもしれません。鳥海山麓、町内吹浦地区に残る小山崎遺跡はそんな縄文の暮らしの痕跡です。

    深鉢形 (ふかばちがた)土器
    小山崎遺跡群で発見された、煮炊きするための鍋。立体的な装飾は地域的・時代的な特徴がよく表われ、
    当時の暮らしの豊かさを読み取ることができる。

     

    彼らの食生活は驚くほど多彩。自生する山菜、木の実、キノコ、そして海洋魚、淡水魚、貝類はもちろん、秋にはそばを流れる牛渡川に遡上するサケも食べていたと考えられています。さらに、数多く出土したイノシシやシカの骨に混じって、なんとクジラ、アシカの骨も見つかっています。

    小山崎での営みは縄文時代早期から晩期まで。実に約3,800年におよびます。遊佐の土地がどれだけ縄文の暮らしを支え、居心地のよい環境だったのかを、おびただしい数の土器や石器、動植物の利用、自然との関わりを示す生活痕がリアルに物語っています。

    石匙(いしさじ)
    同じく小山崎遺跡群より出土。形状から匙と名が付くが、用途はナイフ。
    くぼみの部分に紐を巻き付けて腰に下げ、携帯できるようにしていた。

     

    後篇に続く

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