【第六話】 人智を超える大自然に対する畏敬と崇拝。【後篇】
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鎌倉時代から杉沢地区に受け継がれる
山岳信仰由来の番楽「杉沢比山」
遠く日本海に沈む夕日が空を赤く染めています。鳥海山の懐に深く抱かれた里山は、次第に夕闇を濃くし、祭事の行燈や提灯が道端をほんのり照らします。
8月15日。遊佐町杉沢地区、熊野神社。
鳥海山参詣の二合目とされ、かつては修験者、いわゆる山伏や参拝者のための宿坊が軒を連ねた集落に鎌倉時代から伝えられる番楽「杉沢比山」の「本舞」が、まもなく始まろうとしています。普段は境内の杉林の間に置かれた仮設舞台がレールの上を本堂前までせり出され、周りを取り囲むように大勢の人々が開演を待っています。
「番楽」は山伏神楽とも呼ばれ、山伏によって演じられ、奉納される舞い。能が大成する以前の様々な芸能の要素を含んでいると言われ、これを地区の住民がほぼ原形のまま受け継ぎ、今に伝えています。杉沢比山の「比山」は、出羽三山の主峰月山に対して鳥海山を日山とし、日山の山伏により創始された番楽との意味でそう称されたとの説も。
芸術的な評価も高く、昭和53年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。
暗闇に浮かび上がる舞台では、いよいよ最初の曲目が始まりました。
かつては24曲あったとされますが、現在伝えられるのは、14曲。毎年旧盆8月6日の「仕組」、15日の「本舞」、20日の「神送り」の三夜に奉納され、一番多くの舞が演じられる本舞では上演時間が4時間以上に及びます。
「景清」など武者による勇壮で美しい剣の舞、能面に近い面をつけ静謐な空気を醸す荘重な「おきな」、民話のようなストーリーと滑稽な仕草で笑いをさそう「蕨折り」、鬼が登場し舞台狭しと大暴れする「大江山」、そして、真っ赤で派手な衣装とアクロバティックな舞いでラストを飾る「猩々(しょうじょう)」。
静と動、幽玄でありコミカル。山岳信仰の神事と庶民の娯楽が混在する不思議な時間と空間に、集まった人々は魅了されます。
演目の中でも、クライマックスはとりを務める「猩々」です。猩々は、顔は人に似て体は狗のごとく、酒が大好きな想像上の動物。刀を口にくわえ、逆立ちしたまま舞台を3周する曲芸的な演技が求められます。舞手が無事に演じ切り幕内に引っ込むと、観客からは歓声があがり、拍手喝采です。
杉沢比山には、「ヘソの穴から比山を見たものでなければ覚えられない」という言い伝えがあります。母親のお腹の中にいるときから…の意味でしょう。実際に杉沢比山の演者は、今も杉沢地区に生まれた者、住んでいる者に限られているのだそうです。
遊佐に生まれ、遊佐で育ち、だからこそ受け継がれる豊穣な文化。それは馥郁たる香りを放ち、現代の私たちを魅了するのです。