【第五話】 遊佐が舞台の営み、育み醸す農の文化。【前篇】

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    「土耕」にこだわった遊佐パプリカ。
    生産者数日本一の産地を支えるもの。

    遊佐町を訪れて最初に目につくのは視界いっぱいに稜線を伸ばす鳥海山と、鳥海山を背景にどこまでも広がる水田の風景です。
    この稲作の里で、米作りに次いでいま注目を浴びているのが「遊佐のパプリカ」です。

    ピーマンは苦手だけどパプリカは好き。子どもはもちろん、大人にもそんな人が少なくありません。ピーマンよりも甘みがあり肉厚、しかもカラフルなのが人気の理由でしょう。
    日本で見かける、つまり売られているパプリカの9割以上は外国産の輸入品。その多くは韓国産などですが、世界的なパプリカ栽培の先進国はハンガリーやオランダ。特にハンガリー料理には欠かせない食材として愛されています。

    遊佐町でパプリカが栽培されるようになったのは、姉妹都市であるハンガリーのソルノク市との交流がきっかけでした。約20年前のことです。農家でもあった演者がパプリカの味に感動し、栽培をスタート。やがて国内の大きな需要に後押しされて本格的な取り組みが始まり、生産者数日本一の産地となりました。

    遊佐パプリカの特徴は土耕栽培にあります。
    パプリカのほとんどは養液を使った水耕栽培が一般的。病気や虫害のリスクを避けるためです。これに対して、遊佐町では徹底して土を使った栽培にこだわっています。理由は単純です。リスクは大きくても土で作ったほうが肉も厚くなり美味しいから。

    農家のみなさんの苦労と努力は計り知れないものがあります。土耕でしかも農薬使用を減らし、一方で病気、害虫を防ぐ。それがどんな難題であっても、安全で美味しいものを作りたいという情熱、土地に根ざしながら栽培方法への飽くなきアプローチ。

    「農家」と書きましたが、ものづくりに向かうその姿は、華道家、彫刻家、建築家などと同じように、「農業家」と呼ぶにふさわしいと思うのでした。

    ところで、パプリカの生産大国ハンガリーで、2014年10月に国内最初のウイスキーが発売されたそうです。
    不思議な縁です。

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    全国に知られる「庄内柿」ブランド。
    柿栽培の北限として百年の歴史を紡ぐ。

    鳥海山が間近に迫る遊佐町杉沢地区の山麓地帯では、傾斜地に段をなす多くの柿畑を見ることができます。収穫しやすいように身の丈ほどの低さで横に枝を伸ばす柿の樹、すべて「庄内柿」と呼ばれる品種です。
    庄内柿は平べったく四角形をしているのが特徴の渋柿。正式には「平核無柿(ひらたねなしかき)」と言い、「平らで種の無い柿」の意味。遊佐町をはじめとして庄内地方の秋を代表する果実です。中山間地の寒暖の差が大きい場所で育つため、実が引き締まって歯ざわりがよく、みずみずしく甘みの上品さが魅力です。

    庄内柿の栽培が始まり、初めて出荷されたのは100年以上も前。遊佐にも樹齢を重ねた古木が今もたわわに実をつけます。
    庄内地方は柿栽培の北限とされ、出荷先の7割以上は柿が育たない北海道なのだとか。最盛期の昭和30年代後半から40年頃には、仲買人たちが目をつけた柿畑ごとに木箱を並べ置き、片端から買っていったそうです。値は米の3倍というから驚きです。

    「平核無柿」は渋柿ですから、渋を抜く必要があります。渋抜きに広く用いられるのは炭酸ガスか焼酎(アルコール)。炭酸ガスでの脱渋は約2日間で渋が抜けるのに比べ、焼酎を使った場合は1週間から10日と言われています。
    杉沢地区ではあえて時間のかかる焼酎での渋抜きにこだわっています。なぜなら焼酎を使ったほうが食味がよいから。先にお話したパプリカの土耕栽培と同じです。美味しさのために手間暇は厭わない姿勢。その思いを受け止め、10日間という時間が渋味を消し、上質な甘味を引き出してくれるのです。

    ここ4、5年、庄内柿が再び見直されてきました。「渋を抜く」と言いますが、実は取り除くのではなく、食べたときに舌が渋味を感じないよう「渋を封じ込める」のが脱渋の正体。そのことが、庄内柿の甘さの奥深さに通じているのかもしれません。

    土地の利を活かし、人が手を尽くし、時が味わいを醸す。
    100年の柿づくりの歴史のなかで培われてきた遊佐ブランドは、脈々と受け継がれていきます。

    後篇に続く

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