【第六話】 人智を超える大自然に対する畏敬と崇拝。【前篇】
01
古くから神事と深く関わる酒づくり。
「火合わせ」の祭りにその原型を見る。
遊佐町にある鳥海山大物忌神社は、最上級の社格「一の宮」として日本を代表する神社のうちの一社です。創建は1400年以上前と伝えられ、古代においては日本の北の境界にあって国家を守護する神として崇敬されました。
鳥海山の山頂、標高2,236mに鎮座する本社と、麓の里宮である吹浦・蕨岡2カ所の口之宮、この三社を総称して鳥海山大物忌神社と呼びます。鳥海山そのものが御神体であり、山頂本殿から口之宮に至る広大な範囲すべてが境内で、平成20年には国の史跡に指定されています。
鳥海山はそもそも農業神としても多くの信仰を集めています。このことを象徴するのが、毎年7月14日に行われる「火合わせ神事」です。鳥海山山頂、鳥海山七合目の御浜、遊佐町吹浦の西浜海岸、酒田市宮海海岸、飛島の小物忌神社の計5カ所で、夜8時頃に一斉にかがり火を焚き、互いの火の見え方によりその年の五穀豊穣を占ったと言われています。
実はこの神事において、酒づくりが行われているのを知り驚きました。
神様と酒、いわゆるお神酒は欠かせない供物です。神事の後「直会(なおらい)」で神に供えた酒をいただき、平常時とは異なる昂揚状態になることが、すなわち神に近づく大切な儀式の一つでした。私たちが酒を楽しむ行為のそもそもの由来です。
最近大ヒットしたアニメ映画に、巫女を務めるヒロインが口で噛んだ米から醸す「口噛み酒」が登場して話題となりました。この「口噛み酒」は、縄文時代から古代日本における酒づくりの起源とも言われていますが、神社で神様に奉納する酒をつくること自体、かつては神事の一貫として行われたものでした。
火合わせ神事に話を戻しましょう。
大物忌神社で作られるお神酒は、玉串などと同じく「玉酒」と呼ばれます。仕込みは祭りの前日。米1升、水1升、麹1升、酒1升、合わせて4升の材料を瓶に入れて一晩醸します。これを翌日の祭り当日に搾って供えるのだそうです。
農作物の代表といえる米と、自然の恵みの象徴である水、そして発酵・熟成という神の領域。今なお古来の酒づくりが儀式として受け継がれてきたのは、縄文の頃から鳥海山を背景に脈々と人の営みが続いてきた遊佐町だからこそかもしれません。
酒づくりを製造業ではなく「農業」の範疇に例えることがあります。人智が及ばない自然の力を借りなければ酒も作物もできません。その感謝の気持ちは神への祈りに通じています。
02
日本海の荒波と海風にさらされ、
百五十年を耐える磨崖仏群像の絶景。
磨崖仏(まがいぶつ)は、自然の大石や岩面に直接彫刻された仏像を指します。
遊佐町の「十六羅漢岩(じゅうろくらかんいわ)」は、日本海側に存在する磨崖仏で最大規模といわれ、「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選(水産庁選定)」のひとつ。鳥海山の噴火によって日本海に流れ出た安山岩溶岩の岩礁に二十二体の仏像が彫られています。
その光景は圧巻です。
青く輝く日本海と寄せる白波、陽光にさらされて佇む十六羅漢の姿。東北でも屈指の夕日の名所で目にする美しいマジックアワーと、宵闇に溶け出す一体一体のシルエット。昼夜を問わず、現実を忘れて長い間見入ってしまいます。
十六羅漢岩の造仏を志し実現させたのは、吹浦にある海禅寺の21代住職、寛海(かんかい)和尚。托鉢しながら喜捨(寄付)を集め、地元の石工たちとともに江戸時代の幕末元治元年(1864)から明治元年(1868)までの5年の歳月をかけて完工。その後、寛海和尚は自らが悟りの世界に入るため、海に身を投じたと伝わっています。
十六羅漢とは、仏教の普及に努めた16人の尊者のこと。羅漢を供養することが仏教を盛んにするとともに、命あるものすべての救いとなると信じられています。寛海和尚の十六羅漢岩造仏も、日本海で命を失った漁師を供養し、漁業の海上安全を祈願してのことでした。
岩礁には、磨崖仏のなかで最も大きな釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を中心に、文殊菩薩、普賢菩薩、観音菩薩、舎利弗、目犍連の6体と16の羅漢像計22体の姿が北と南に分かれて刻まれています。
日本海の荒波に顔立ちが浸食され、元の岩に帰ろうとするお姿。
そこには、人が抗えない150年の歳月と自然の意思を感じずにはいられません。
ひょっとすると、完成直後よりも長い時を経た今こそ、羅漢像に込められた思いがひしひしと伝わってくるような気がします。
後篇に続く